谷岡隆(たにおかたかし) 習志野市議会議員

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父の葬儀

c0236527_13411756.jpg12日早朝に父が病院で亡くなり、葬儀となりました。昭和一桁(9年)生まれの81歳(数えで83歳)でした。

14日に通夜、15日に告別式と火葬。喪主は母でしたが、私も長男としての役割を担いました。

日頃のお付き合いから通夜・告別式に参列する機会は少なくありませんが、喪主・遺族の側に座るのは、子どもの時に弟や祖父母を亡くして以来でした。

父はパーキンソン病を長年わずらっており、ものを飲み込む力が弱くなり、先月から誤嚥性肺炎を繰り返すようになりました。息をしづらい様子でしたが、最後は大きな痛みや苦しみもなく、静かに息をひきとりました。

父は土木建設の現場監督等をしており、全国各地で多くの橋梁架設工事などに従事してきました。山間部の橋から首都高速道路、明石海峡大橋までいろいろです。

朝から夜まで仕事中心の生活で、単身赴任も多かったため、私が子どもの頃は、いっしょにいた記憶がほとんどありません。家族旅行に出かけると、自分が建設した橋や道路に懐かしそうによく立ち寄っていたことを記憶しています。

無口であり、自分のことをあまりしゃべらない人でした。入院中の見舞い、通夜・告別式の会葬に来た方々の話で初めて知ることも少なくありませんでした。

勤め先の元社長が見舞いに来た際、「橋梁工事で死亡事故のニュースを先日みた。谷岡君(父)は、全国でたくさんの橋をつくったけど、一度の事故もなく、一人の社員も一人の職人も死なすことがなかった」と言われました。私は、このような父を誇りに思いました。

告別式では、高校・会社の後輩の方のお別れのあいさつで、高校のハンドボール部の中国大会において父の活躍で優勝した際、父が後輩に「負けたやつもいるのだから、あまりはしゃぐな!」と言ったというエピソードがありました。印象に残る話でした。

当初は近親者による葬儀を考えていましたが、父の元の職場・仕事関係の方々や友人が何人もいらっしゃり、参列していただきました。市役所関係では、市議会議長、市長、副市長、教育長、企業管理者などの方々に参列していただきました。供花や弔電も多くの方からいただきました。

荒原議員、入沢議員、市川前議員や党支部の方々、妻の親族にも受付などを手伝ってもらい、無事に葬儀を終わらせることができました。

皆さま、ありがとうございました。
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告別式の後、馬込斎場で荼毘に付しました。知人の通夜・告別式以外で馬込斎場に来るのは初めてでした。

生前、私が30歳代の頃は「孫の顔が見たい」とよく言われていました。父がそう言うと、母は「結婚もしていないのに無理だ」と注意していました。その後、40歳で結婚し、3人の孫の顔を見せることができたのは、せめてもの親孝行と思っています。
by takashi_tanioka | 2016-05-18 23:30 | 子育て・家族 | Comments(0)

日本共産党市議としての活動日誌をメインに、日々の思い、家族のこと、研究活動などをご紹介します。


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