11日朝、新聞配達の後、長男の少年サッカー(向山イレブンSC)の練習試合で、船橋市の三山東小学校へ。
FCミヤマイーストとの練習試合。私も、送迎のために子ども達とコーチを自動車に乗せて行きました。
2011年の東日本大震災の発生から6年。小学校には半旗が掲げられていました。午後2時46分、試合を中断し、震災の犠牲者に黙とうを捧げました。
長男は、この日は冒頭からスイッチが入っており、みんなから少し遅れながらも、最初と最後のあいさつ、試合間の練習など、参加できていました。どうすればスイッチが入るのかは謎です。
余談ですが、妻は、三山東小学校の学童保育で働いていた時期がありました。当時の船橋市の「指導員」は無資格でもできたので、看護学校入学前に一時期やったそうです。
夜は習志野市学童保育連絡協議会(市連協)の定例会に出席。3月30日に開催予定の
習志野市子ども・子育て会議の案内をしました。年度末であり、メインは新旧役員の引き継ぎでした。
そのほか、6年前の東日本大震災の体験が語られました。少なくない保護者が帰宅困難となるなか、支援員が非常勤職員でありながら、翌朝10時まで学童室に一晩泊まって子ども達を守りました。
習志野市の非常勤職員で唯一、徹夜で職場に残ったのが、放課後児童支援員だったそうです。「学童保育の支援員が子どもを守ってくれたから安心できた」というのが、帰宅困難となった保護者の声だったそうです。
習志野市では学童保育(放課後児童会)の民営化が進められようとしており、民間委託の児童会と、他の児童会とで、支援員の連携が分断されないか心配です。