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関東大震災102年 朝鮮人犠牲者追悼式(第79回追悼式)・・・船橋市馬込霊園にて

7日朝、新聞配達の後、マンション管理組合のクリーンデーに参加。その後、船橋市営馬込霊園へ向かい、「関東大震災102年 朝鮮人犠牲者追悼式」に参列しました。私は昨年に続き、8度目の参列でした。
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千葉県で第79回目の追悼式であり、1963年の馬込霊園移葬後第63回目の追悼式でした。主催は、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式千葉県実行委員会でした。
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近隣市を代表して「船橋市長」の生花が祭壇に出されていました。黙とうの後、参列者による献花。市民団体のほか、立憲民主党、日本共産党、新社会党の議員や職員が献花をしました。

下の写真は、日朝友好千葉県の会による献花の様子です。
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追悼の辞、弔電紹介、追悼演奏と続きました。船橋市長、習志野市長、八千代市長、市川市長、鎌ケ谷市長から弔電が届きました。また、昨年に続き、今年も千葉県知事(熊谷俊人知事)から弔電が届いたことが紹介されました。

追悼演奏では、千葉朝鮮学校出身の朝鮮大学校学生と卒業生による女性重唱、男性重唱でした。最後は、参列者が順次、焼香をしていきました。
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近年の外国人バッシング(主にアジア系へのバッシング)、参議院選挙での「日本人ファースト」の名による外国人差別・排外主義への危機感から、参列者の幅が広がりました。

日朝友好千葉県民の会の宮川敏一さん(新社会党千葉県本部委員長)による追悼の辞が、朝鮮人虐殺の背景、近年のアジア系外国人へのヘイト、排外主義の危険を上手に訴えていました。要旨をご紹介します。

関東大震災102年 朝鮮人犠牲者追悼式 追悼の辞

明治新政府となった日本は朝鮮の自主独立の保障を装いながら、わがものとするために日清日露の両戦争をしかけました。 戦勝国となった日本は1905年、朝鮮に「保護条約」を押し付けて外交権を奪い、1910年には「韓国併合」を強行しました。以来、日本の敗戦に至るまでの実質40年間、朝鮮を植民地として支配しました。その間、朝鮮人から土地を奪い、言葉を奪い、名前を奪うだけでなく不足した労働力を補うために、幾多の朝鮮人を強制連行して奴隷労働を強い、さらには「天皇の赤子」として戦場に送り込みました。

当時、日本のある識者は朝鮮人を「政治的本能を欠き、経済的常識に乏しく、知識的野心無き、彼の薄弱なる女性的国民」と評しました。この露骨な民族差別と偏見に満ちた表現は一般市民に大きな影響を及ぼしたことでしょう。日清戦争当時、朝鮮の東学農民が日本軍の侵略に抗して再び蜂起しましたが、大本営の「ことごとく殺戮すべし」の命令により、3万人に及ぶ農民が殺戮されたとされています。1919年の「三・一独立運動」も「暴動」として大弾圧が加えられました。日本の統治に不満を持ち独立を標榜する朝鮮人は「不逞鮮人」と見なされました。日本の植民地支配と関東大震災時の朝鮮人虐殺は無縁ではありません。

「韓国併合」から13年目、「三・一独立運動」から4年後の1923年9月1日、巨大地震が日本を襲い、南関東から東海に及ぶ地域に広範な被害をもたらし、死者・行方不明者は10万5千人に及びました。戒厳令下に置かれた関東全域では「不逞鮮人の放火及び井戸に毒薬投下を警戒する」等の流言により官憲をはじめ在郷軍人や官憲に踊らされた自警団が、震災から死線をくぐり抜けた朝鮮人を虐殺するという惨劇が起きました。

関東全域で虐殺された朝鮮人は6千人を超え、千葉県でもここ船橋市をはじめ千葉市、習志野市、八千代市などで3百人を超えると推定されています。船橋の行田には、真珠湾奇襲攻撃の暗号電報「ニイタカヤマノボレ ヒトフタマルハチ」を発信した海軍無線電信所船橋送信所がありました。ここから9月3日午前8時15分、内務省警保局長名で、全国の地方長官宛に朝鮮人暴動のデマが発信されたことにより朝鮮人虐殺を助長する事態を引き起こしました。

国際社会の批判を恐れた当時の日本政府は関係各方面と協議し、朝鮮人に対して「ことさら迫害を加えた事実はない」ことを「事実の真相として宣伝に努め将来之を事実の真相とすること」等の協定を結びました。さらに「遺骨処理方針」で虐殺された朝鮮人の「遺骨ヲ不明ノ程度ニ始末スルコト」としました。これらは国家レベルの歴史の隠蔽と歪曲に他なりません。

100年が経過してもなお、日本政府はこれを引き継いで朝鮮人虐殺については「事実関係を確認することのできる記録が見当たらない」などと詭弁を弄しています。不都合な歴史に蓋をして「なかった」ことに固執する限り、ヘイトの連鎖を断ち切って真の多文化共生社会を実現することはできません。歴史に真摯に向き合おうとしない政府の姿勢が排外主義を煽り在日朝鮮人や朝鮮学校への差別の温床となっています。わたしたちは「真理がわれらを自由にする」に確信を持ち、「なかった」ことにする風潮に抗い、すべての人々が差別されることなく安心して暮らせる平和な社会を築けるよう、本日の参列者とともに努力することをお誓いして追悼の辞と致します。

by takashi_tanioka | 2025-09-07 23:30 | 関東大震災・朝鮮人虐殺 | Comments(0)

日本共産党市議としての活動日誌をメインに、日々の思い、家族のこと、研究活動などをご紹介します。


by 谷岡 隆
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